湯本裕幸さん(手塚プロダクション チーフ・プロデューサー)インタビュー

手塚作品を世界中へ!遺志を引き継ぎ、新たな命を吹き込む現場の想いとは

1968年の設立から40年以上が経った。手塚治虫の作品を発表管理する会社は、その作家の死後、「新作がない」中で、作品を広めることとなった。会社としての転換期から現在の取り組みについて、手塚プロダクション営業2部部長、湯本裕幸氏に話を伺ってきた。

――こちらではどんなお仕事をされていますか。

湯本裕幸氏:はい、手塚プロダクションというのは、手塚治虫が残した著作物、マンガ・アニメーションやエッセイそれらを管理し広めていく事を主な業務としています。その中で、我々が行っている業務は大きく分けて二つあります。

一つはアニメーションの制作に代表される制作関連業務です。ここでは手塚作品の原作のアニメーション制作、OVA作品の制作等や、また手塚作品以外の制作を請け負うこともします。

展覧会の企画制作やコンベンションなどの施工運営も請け負わせて頂いております。また流行の商品を小ロットで制作・販売するのも、この業務に該当します。例えば宝塚市立手塚治虫記念館内のミュージアムショップでの販売です。そこでは、ポストカードやTシャツを販売しています。最近ですと『マクロスF』や『エヴァンゲリオン』等のキャラクターライセンスを頂いて商品の制作販売もしているんですよ。

――
他作家の作品も手掛けているのですね。

湯本裕幸氏:いろんなことをやっていますよ、もう一つは弊社の主幹業務であるライセンスの管理運営ですね。マンガとして出版したり手塚治虫の漫画のキャラクターを元にした商品への許諾、実写のドラマや映画・アニメなど映像作品にする関するもの、舞台・演劇・ダンス・展覧会等のパフォーマンスなど次的な著作物、ITメディアに対するコンテンツなど多岐に渡ります。

作品に新しい命を、コラボレーションの意義

――新しい取り組みがなされています。

湯本裕幸氏:ここ四~五年の、そして今後も引き継がれるであろう大きな命題としては、「コラボレーション」が大きなテーマとなってくるでしょう。手塚治虫が亡くなって二十余年になります。作品のストーリー及びテーマには我々も自信を持っていますが、新作品は出ないという現実があるんですね。当然、新しい作品は世の中にどんどん出てくるわけですから、必然的に手塚作品の世の中に対する接点は減ってくるわけです。作品にしても、キャラクターにしても、今の時代の人達に認知されていかなければ忘れられてしまいます。「コラボレーション」とはそういう状況下で、新しいクリエイターの、新しい感性の元で、本質は変えずに、今の表現で、生きた作品にしていく、こういうことをここ数年取り組んでいますね。

例えば、『tezuka moderno』シリーズですね。デザイン集団play set products(プレイセットプロダクツ)代表の中野シロウ氏と組んで、アトムやブラックジャックなどのキャラクターを新しい世界観で表現してもらっています。最近ですと、「osamu moet moso(オサム モエット モッソ、と読む)手塚治虫アキバ化計画」というのもあります。40年、50年前から手塚作品には、「萌え」の要素があったんだ!(笑)というコンセプトです。

秋葉原界隈を中心に支持されている、旬のイラストレーターやマンガ家の方々に、独自の表現方法で手塚キャラクターを描いて頂いて、展覧会を開催し、商品化してくという取り組みですね。

――多くの人々の目に触れることによってキャラクターがどんどん生きていくんですね。

湯本裕幸氏:そうですね、そうやって触れる機会を増やしています。その結果が、冒頭の業務内容である手塚治虫が残したものを広めていくということにつながっていくんだと思います。全く手塚治虫を知らない世代、読んだことのない人々に、きっかけとなって、漫画を読んで欲しいと思います。浦沢直樹先生とのコラボ作品である『PLUTO(プルートウ)』もその1つですね。鉄腕アトムの『地上最大のロボット』というエピソードをリメイクされた作品です。他にも、様々な作家の方達と、今現在に至るまで連載等、色々なコラボをしています。

――道家大輔さんの『どろろ梵』などもありますね。

湯本裕幸氏:映像化に関しても、映像界で活躍する様々な人たち、俳優・監督・プロデューサー・脚本家と一緒に今の市場に対する目線で手塚作品をどう映像化していくか、映像化する時の意味付け、今のメインストリームに突き刺さる映像を作っていくよう心がけています。

手塚治虫

――ただ映像化するのではなく、命を吹き込む、と

湯本裕幸氏:いかに今のマーケットを、感じて皮膚感覚でとらえることが出来るかですね。実は、マーケティングに関して言うと、手塚自身がものすごく市場に敏感だったと思うんですよ。徹底的にリサーチして今世の中で何が流行っているか、何が受け入れられているのか、特に子供に読んで貰う為にマンガを描くんだという意識が非常に強かったので、子どもの流行のサイクルはとても早いですよね。

そういうのをすごく念頭に置いていたと思いますね。大衆に迎合しようとしていたわけではないですが、よく見ると色々な所で取り入れていますね。マンガの手法で言うと、「劇画」が出だした時に、手塚は作風をがらりと変えるんです。劇画の手法を取り入れて、自分なりの昇華を果たすんですね。」

――今までやってきた作風を、がらりと変えるというのは容易ではない気がしますが。

湯本裕幸氏:アシスタントが読んでいる劇画等も見て、メインストリームを取り入れちゃうんですね。時流を敏感に感じて、吸い取る。その時流を感じて、じゃあどうするんだ、と。そういうクリエイターだったと思います。そして我々はそういう精神を引き継がないといけないと思います。ましてや作者本人はもういないので、残された作品の何を変えても大丈夫か、何を変えると本質が変わってしまうかこの本質を見極めることが社員一同、重要になってきますね。

本質が変わらなければ、今の市場に合ったものにしていく、ということです。

手塚治虫

――創作に対する熱気が感じられますね。熱気というと、よく手塚先生は新人に対しても嫉妬していたとか…(笑)」

湯本裕幸氏:負けず嫌いですよね。若い芽は早く潰そう(笑)みたいな。生涯現役なんですよね。普通は、ゴルフやったり、お酒飲んだり、若い女の子と遊んだりと、まあいわゆる道楽を楽しむわけです。特に巨匠と呼ばれるぐらいになると。

お金・名声・を手に入れてもそう言う事はやらなかった。その代わり(?)アニメにのめり込んじゃった(笑)

これを表す有名な言葉に、「マンガは本妻、アニメは愛人」なんていう大人にしか通じないジョークもありますが、巨匠という立ち位置に居たくなかったのか、常に最先端に居たかったんでしょうね。全員がライバルですよね(笑)

それぐらい、熱意があったんでしょう。先ほどのマーケティングの話でもそうですが、やはり何が流行っているのか、時流なのか、そういうのに関心がないと、ついていけないですからね。そういう意識はすごく高かったと思います。

そういう精神を引継ぐことが、我々が今やろうとしている「コラボレーション」だったりするわけです。常に自分たちが良いんだ、だけではなく「読者」目線で考えていたという事ですね。読者、観客を意識しないといけない、と思います。

――その読者も、年を追うごとに新しくなっていきます。

湯本裕幸氏:さらに、既存の読者も変化します。そういうことも感じないといけませんね。手塚漫画そのものには凄く自信を持っています、私は(笑)

700タイトル以上あって、10人が10タイトル読んですべて嫌い!ということはなかなかないと思うので。私の自信というのは、手塚作品を読めばわかるということです。広く色々な人に読んでもらうために、商品化だったり映像化だったりを、おこなっているわけです。

手塚の思想や思いが純粋な形で表れているのは、やはり漫画だと思うんですね。その為に、日夜話題作りや、事件(笑)を興そうとしています。


――
会社の転換期、ターニングポイントととなった大きな出来事と、その影響を教えて下さい。

湯本裕幸氏:1968年の設立からずっとということであれば、やはり手塚治虫の死でしょうね。それまでは、いかに良い作品を作れるかの環境づくりが会社の主幹業務でしたから、業務自体が大きく変わりましたよね。亡くなって4・5年の間は、絶筆作品の整理、企画途中の整理、等で精いっぱいだったそうです。その後から今までは、新作が出ない中での、「いかに作品を読んでもらうか」の試行錯誤の連続だった。その試行錯誤から、コラボという発想も生まれました。

――湯本さん自身と会社とのかかわりについてお聞きします。

湯本裕幸氏:1994年ですね、もう17年になるんですね。きっかけは、知人の紹介です。担当業務ですが、映像・演劇等の、二次著作物制作のライセンスこれら全般にまつわる業務の窓口と展覧会等の制作及びオリジナル商品の開発をしている部署にいます。この会社に入って驚いたのは、みな「正論」で仕事している、ということ。ライセンスに関しても、意思を引継いで「こどもが、どうやっても関われないもの」にはライセンスしない。また「社会的に議論の余地のあるもの、市民感情的に判断がついていないと考えられる事柄」についても、ライセンスをしないというポリシーが 引継がれていて、これこそが手塚プロ、このおかげで今までこれたかと思います。

――だから、アトムは原発のマスコットキャラクターにならないんですね。(笑)

湯本裕幸氏:いくらお金が積まれても現在では、出来ないです、欲しくても(笑)(注このインタビューは2011年3月2日に掲載されました。)

漫画を読むのも立派な仕事

――どんな会社なんでしょう。建物も変わっていますね。

湯本裕幸氏:どうでしょう、みんな変わっています。(笑)この建物、元々は専門学校の予定で立てられた建物なんですよ。

手塚治虫

「校舎」に描かれた、手塚治虫のキャラクターたち。

その他ですと、これはおそらく弊社ならではの光景だと思うのですが、就業時間中に漫画を読んでる事に、全く違和感ないことですね。仕事の一環ですので、でも面白いから、確認の為にライブラリーに入ってもついつい長居してしまう事もあります。

 

手塚治虫

ここが、資料や漫画が置いてあるライブラリー。改めて作品タイトルの多さとその多岐に渡るジャンルに、天才っぷりを感じさせられる。

そういえば手塚作品は、いわゆるお行儀の良い作品ばかりではなく、小気味の良い後味の悪さというか、考えさせられる作品も多いんですよ。

ここで、作品を終わらせるか!というような(笑) 考えさせられるんですね。だから何度読んでも楽しめるんですよ(笑)

――その膨大な作品を、これからも色々な形で伝えていかれるんですね。

湯本裕幸氏:我々は700タイトル以上ある手塚作品を、手塚治虫の意思を引き継ぎ、広く世の中に認知されるべく 日々活動しております。私をはじめ皆、作品が大好きで、読んでもらえればわかるという自信を持って仕事をしています。 1億3千万人に、ひいては69億人の世界中の人に(笑)読んでもらえるようこれからも、その意思を引き継ぎつつ、枠に捉われず広げて参りたいと思います。